私利私欲と支離滅裂と生と死と

考えてもキリがないことって世の中たくさんあるだけに、ぐるぐるとその中でめまいを起こすことも幾度となくある。
もうどうにもならない感情になるから、ガス抜きにと「新しい記事を書く」の画面に向かうと、またにらめっこが続き、益々深みにはまっていった。
こういうときは、さらけ出す。
後先考えながらも、さらけだすに限る。

過去記事のアメリカでの生活を綴ってるところの写真で、ウサギを得意げになって掲げているショットがある。
あれは自分で射殺して、皮を剥ぎ取って、から揚げにして食べたときのものだ。
あのころはどんなことだってやった。
コヨーテだって撃ち殺してやった。
ねずみなんて数え切れないほど脚で踏み殺した。
しかし自分は間違っていないと今でも思っている。
何かを犠牲にして、何かを守ったのだと。
だから、怪我をしている牛や馬に対しても体を張って助けてやった。
当たり前のことだ。
生きることに皆が必死だからこそ、殺生はなんら問題なく、当たり前のしきたりだ。


たとえ命を自分の手で葬ろうとも、屠殺場で惨劇を目の当たりにしようとも、感情が高ぶることや、悲しみに嘆くことは一度たりともなかった。
自分なりに生と死を掘り下げて、自分のものにしているつもりでいる。
死が決して憐れでもなければ、生が決して善でもない。
ときとしてそれらはただ「現象」であり、どちらが特別とかではなく表裏一体で一つにくくることの出来ない・・・・そう、現象なのだろうと。
保健所の犬とて同じである。
自分には、何かが犠牲になり何かが守られた、または、当たり前の現象が繰り広げられていている、という極当たり前のことが繰り広げられているように映る。
もちろん必死で抑えている感情も奥底にはある。


だが感情が高ぶるときもある。
久しぶりに不条理なものを見た。
DSC04969.jpg


ある犬屋敷。
そこでは犬が犬を食っている。
あまりの飢餓感から共食いしているのだ。
チェーンが短くて首吊って窒息死してる犬もいる。
アホか。
バカだ。
死ね、飼い主。
佐世保市ですよ、皆さん。
これ見てる方、ほとんどが近所ですよ。
自分が現場を視察に行ったとき、目の前には無造作に犬の頭蓋骨が転がってました。
狭い敷地に何十匹もの犬。
鼻を突く悪臭。
ワンワン達がただワンワンと言ってました。

その中から7匹選んで譲渡会に出す手配はしたけれど、運ぶ人がいない。
一時預かりが出来る人が集まらない。
無事に4頭を病院に連れて行ったとき、ある一匹が診察台に上るなりぽろぽろと涙を流していました。

初めて見た外の世界に歓喜したのか、診察が怖かったのか、ただ目にゴミが入ったのか。

今日その中から2頭もらわれていきました。




いろいろなことがありすぎて、わけわからんなる。
なぜなんだ!!と叫びたくもなる。


どんなことが起こってもやるべきことはわかっている。
やってはいけないこともわかっている。

ただ、疲れるときもある。。。


やるべきことは「自分の出来ることをやる」ということ。
やってはいけないことは「自分の出来ないことをやること」だろう。

本当の意味で保護するために、闇雲に「保護」だけをしないためにできることをしたい。

もやもやしながらも、結局そんなことを改めて思った。

もう何書いてるかもわかんないです。

悲しくて、嫌気がさして、でもやる気がふつふつと湧いてきてる。

無理せずやろ。
冷静にやろ。

これからもよろしくお願いします。


それから譲渡会お疲れ様でした。
次回改めてお礼と報告をいたします。
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