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【続・15の旅 Part4】


2019.04.08
ネバダを北上しアイダホに入った。


涙が出そうになる。


次第に知っている景色が出始めた。
ただ、記憶は鮮明に残っていると思っていたが自分が記憶していた景色とはやや異なって感じるところもある。


思っていたより月日は流れたのだ。


本当にここであってるのか。
2005年まで僕が住んでいた場所はこの先にあるのだろうか。


不安な中走ること数時間。


遂に見えた!!!


あの時過ごした牧場!
今の僕の原点といっても過言ではない場所。


本当に苦しい日々だった。
手が震える。


真っ先に撮影したのは郵便ポスト。


僕は週二回だけ届く郵便を楽しみにしていた。
当時はインターネットはなく、たまに電話で日本とコンタクトを取るだけだった。
僕はこの木の箱に日本との繋がりを感じた。
本当に懐かしい。


次に向かったのはボスの家。
ボス、元気かな…
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【続・15の旅 Part3】


2019.04.08
カリフォルニアの空港で甥っ子と姪っ子を下ろし、僕はひたすら北を目指した。


2003年から2005年、僕が過ごした場所を目指し。


そして、あの時共に過ごしたみんなに会いに。
ずっと会いたかった。
本当に感謝してる。
心の底から。
15年前か。
生まれたばかりの姪っ子に人形を送ったよね。
生まれたばかりの甥っ子の写真が送られてきたのを覚えてるよ。
日の出から日の入りまで、365日休まず働いた。
そうだ、僕はジャパニーズカウボーイだった。
あの時の僕に会えるかな。

続・15の旅 Part2

カリフォルニアからネバダ北部へ向けて進む。

雪を被ったシエラネバダが美しい。
クリスタルガイザーの工場もある。
ドライレイクには塩と思しき白い結晶が。
緑が多いところも好きだけど、何もない寂しげな砂漠も好き。
甥っ子と姪っ子がいなくなったので、夜はのんびりと砂漠で車中泊をした。

続・15の旅 Part1

しつこくてすみません。
自分としては思い出を書き残しておきたくて…
甥っ子と姪っ子とロスで別れた僕はニューヨークへ向かった。
7日後にカンファレンスがあるのでそれまではフリーだ。
さあどこ行こう。
サウスダコタにいる昔お世話になったDougに会いたい。
Dougとは電波の関係でなかなか連絡が取れなかったので、先にアイダホへ向かうことにした。
(後々も連絡を取ったがDougとは結局会えなかった)

道中花がとてつもなく綺麗。
カリフォルニアってこんなにきれかったっけ??
今まで何度も訪れたことあるが、こんなに綺麗とは知らなかった。

実はこれ後から知ったのだが、スーパーブルームというらしく、数十年に一度起こる「砂漠のお花畑化」らしい。

辺り一面に花が咲き、山によってはスッポリとお花に囲まれていた。
幸先の良いスタートにハンドルが軽くなった。

追記あり 『15の旅』とカンボジアの井戸

※お申し込み方法追記あり
なぜ今頃になって『15の旅』を立て続けにアップしたのか。
一つは旅の最終日に兄が亡くなり筆が止まったから。
もう一つは、明日10/10に今年のカンボジアへの井戸の寄付が締め切られるから。
カンボジアの井戸と兄の死がどう関係あるのか。。
15の旅は甥っ子と姪っ子をロスの空港で見送ったところで終わる。
僕はその後、再び車でニューヨークへ向かい、仕事関係の研修に参加した後、その足でカンボジアへ向かった。
カンボジアへは井戸掘りボランティアに参加するための訪問だ。

カンボジアへ井戸を寄付するとプレートに希望する名前が入れられる。
僕は二本寄付したので自分の名前と屋号を入れた。
お客様からの寄付もあり、それぞれお客様名や犬の名前を入れられていたが、印象深かったのはお亡くなりになられた故人の名前を追悼という形(in memory ofを名前の前に付ける)で寄付されていた方がいたこと。
それから僕の母親からの寄付もあった。
母親は「子供4人の名前を」ということで、僕たち4人きょうだいの名前が入っていた。
成人した後、僕たち4人きょうだいは、それぞれ異なる町で生活していた。
正月といえど昔のように食卓を共にすることもなく、家以外でも4人で最後に集まったのはもう何年も前のことだろう。
4人が揃って自宅で食事となると、30年、いやそれ以上ないかもしれない。
しかし、どこの家族もそうだと思うが、離れて暮らせば暮らすほど絆は深まっていた(ように思う)。
カンボジアで僕たち4人が一つのプレートに刻まれているのを見て、当たり前すぎて忘れかけていた「僕たちは血を分けたきょうだいであり、特別な仲間である」という気持ちを改めて感じた。
そして母の愛も。

カンボジア滞在最終日、バイクタクシーに乗っていると電話が鳴った。
兄嫁から「マサルくんの様態が良くない。誰にも会いたくないって言ってるけど、イサムくんには会いたいって」との知らせだった。
兄は2年間癌と闘っていた。
数週間後に迫った母の誕生日には何年振りかに家族全員で会う約束をしていた。
その前には一緒にうどんを食べに行く約束も。
とにかく『家族』が欠けることなく一つであることを感じたかった。
4月25日
帰国してすぐに病院に向かい、兄に会うと「カンボジアにお母さんが寄付した井戸があって、それ見てきたよ!マサル兄ちゃんの名前も載ってる、ほら」と見せた。
兄は何も言葉を発しなかったが、確かに写真は見た。
その20~30分後、僕の前で息を引き取った。
最後に家族が一つであることが感じることができた。
きっと兄も同じ。
僕たち4人はずっとカンボジアで一つだ。
父や母の想いと共に。

明日10/10で井戸の寄付の申し込みの締め切りとなります。
寄付を希望される方、また一緒にカンボジアへの渡航を希望される方、ご連絡ください。
ボランティアや寄付が偽善か慈善かなんて深いことはわかりません。
井戸を何かの記念にするのもいいと思いますし、想いが形となり誰かの役に立つことで癒される気持ちもあると思います。
寄付についての詳しいことはこの次の投稿で記します。
090-7577-1654(藤川)まで