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続・15の旅 Part1

しつこくてすみません。
自分としては思い出を書き残しておきたくて…
甥っ子と姪っ子とロスで別れた僕はニューヨークへ向かった。
7日後にカンファレンスがあるのでそれまではフリーだ。
さあどこ行こう。
サウスダコタにいる昔お世話になったDougに会いたい。
Dougとは電波の関係でなかなか連絡が取れなかったので、先にアイダホへ向かうことにした。
(後々も連絡を取ったがDougとは結局会えなかった)

道中花がとてつもなく綺麗。
カリフォルニアってこんなにきれかったっけ??
今まで何度も訪れたことあるが、こんなに綺麗とは知らなかった。

実はこれ後から知ったのだが、スーパーブルームというらしく、数十年に一度起こる「砂漠のお花畑化」らしい。

辺り一面に花が咲き、山によってはスッポリとお花に囲まれていた。
幸先の良いスタートにハンドルが軽くなった。
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追記あり 『15の旅』とカンボジアの井戸

※お申し込み方法追記あり
なぜ今頃になって『15の旅』を立て続けにアップしたのか。
一つは旅の最終日に兄が亡くなり筆が止まったから。
もう一つは、明日10/10に今年のカンボジアへの井戸の寄付が締め切られるから。
カンボジアの井戸と兄の死がどう関係あるのか。。
15の旅は甥っ子と姪っ子をロスの空港で見送ったところで終わる。
僕はその後、再び車でニューヨークへ向かい、仕事関係の研修に参加した後、その足でカンボジアへ向かった。
カンボジアへは井戸掘りボランティアに参加するための訪問だ。

カンボジアへ井戸を寄付するとプレートに希望する名前が入れられる。
僕は二本寄付したので自分の名前と屋号を入れた。
お客様からの寄付もあり、それぞれお客様名や犬の名前を入れられていたが、印象深かったのはお亡くなりになられた故人の名前を追悼という形(in memory ofを名前の前に付ける)で寄付されていた方がいたこと。
それから僕の母親からの寄付もあった。
母親は「子供4人の名前を」ということで、僕たち4人きょうだいの名前が入っていた。
成人した後、僕たち4人きょうだいは、それぞれ異なる町で生活していた。
正月といえど昔のように食卓を共にすることもなく、家以外でも4人で最後に集まったのはもう何年も前のことだろう。
4人が揃って自宅で食事となると、30年、いやそれ以上ないかもしれない。
しかし、どこの家族もそうだと思うが、離れて暮らせば暮らすほど絆は深まっていた(ように思う)。
カンボジアで僕たち4人が一つのプレートに刻まれているのを見て、当たり前すぎて忘れかけていた「僕たちは血を分けたきょうだいであり、特別な仲間である」という気持ちを改めて感じた。
そして母の愛も。

カンボジア滞在最終日、バイクタクシーに乗っていると電話が鳴った。
兄嫁から「マサルくんの様態が良くない。誰にも会いたくないって言ってるけど、イサムくんには会いたいって」との知らせだった。
兄は2年間癌と闘っていた。
数週間後に迫った母の誕生日には何年振りかに家族全員で会う約束をしていた。
その前には一緒にうどんを食べに行く約束も。
とにかく『家族』が欠けることなく一つであることを感じたかった。
4月25日
帰国してすぐに病院に向かい、兄に会うと「カンボジアにお母さんが寄付した井戸があって、それ見てきたよ!マサル兄ちゃんの名前も載ってる、ほら」と見せた。
兄は何も言葉を発しなかったが、確かに写真は見た。
その20~30分後、僕の前で息を引き取った。
最後に家族が一つであることが感じることができた。
きっと兄も同じ。
僕たち4人はずっとカンボジアで一つだ。
父や母の想いと共に。

明日10/10で井戸の寄付の申し込みの締め切りとなります。
寄付を希望される方、また一緒にカンボジアへの渡航を希望される方、ご連絡ください。
ボランティアや寄付が偽善か慈善かなんて深いことはわかりません。
井戸を何かの記念にするのもいいと思いますし、想いが形となり誰かの役に立つことで癒される気持ちもあると思います。
寄付についての詳しいことはこの次の投稿で記します。
090-7577-1654(藤川)まで

15の旅 final

2019.04.06
ロサンゼルス
甥っ子姪っ子との旅は終わった。
帰る彼らの手には訪れた州全てのステッカーが貼ったスーツケース。
使い古された言葉だけど、思い出が詰まったスーツケースとともに帰国した。

僕が15のとき、僕をアメリカに連れて行ってくれたおじさんがいた。
その時、僕の人生は180度変わった。
そのおじさんはもうこの世にはいないけど、僕はずっと感謝している。
いつか僕にも子供ができたなら、15になったら絶対に海外に連れて行こうと思っていた。
僕には子供がいないけど、甥っ子姪っ子がいる。
そしてちょうど16と15になったので、こうして一緒に旅をした。
ニューヨークからロサンゼルスまでおよそ6,000km。
姪っ子は小学生の時に一時不登校だったと聞いた。
甥っ子は今でも不登校。
不登校だっていい。
生き方は色々だ。
世界は広い。
自分の足で歩いて、大志を抱け。
苦しい道をもがきながら歩け。

僕は甥っ子姪っ子と別れたあと、再びニューヨークへと車を走らせた。
この続きはまた近いうちに書くつもりでいるけど、実は今回本当に書きたいことがこの旅の最後に待ち受けていた。
僕の兄が亡くなるのだ。
兄の最期に立ち会い、最期に見せたものは、兄の名が入った井戸の写真だった。
ロスからニューヨークへ向かい、そこからカンボジアへ飛んだ僕は、カンボジアで井戸掘りのボランティアをした。
僕自身も2本の井戸を寄付させていただいたが、もう一本母親が寄付した井戸の完成も見てきた。
その井戸には兄の名前が刻まれていた。
僕は兄の元へ駆け寄り、兄にその写真を見せ、その僅か数分後兄は息を引き取った。
兄は今でもカンボジアで生きている。
詳しくは次回また書くことにする。

15の旅 Part23

まだ野茂がドジャース時代、兄と一緒にドジャースタジアムへ観戦に行った。
そこで二人で食べたドジャードッグ。
オニオンとケチャップとマスタードはセルフサービスとなっていて、2人で「すごいなこれ!」と驚いたことを覚えている。
『野球』と『ベースボール』
同じスポーツでも文化が異なるとちがう光景に見えた。
甥っ子と姪っ子にもその光景を見せたくて、旅の締めくくりはベースボール観戦とした。

運良くトラウトのシルバースラッガー賞の授賞式と被る。

大谷は見られなかったが、プレイ以外にも独特なチュロ売りの少年など『アメリカ』が詰まった場所だった。

15の旅 Part22

ラスベガス。

僕が15の時、アメリカに来て初めて泊まった街。
煌びやかな街に興奮したのを覚えている。
あの夜、未成年でも遊べるゲームセンターのようなところでバスケットのようなゲームをして、景品のぬいぐるみを貰った。
たわいもない思い出のようで、忘れない夜。
初めてのアメリカだったということもあり、ラスベガスは印象深い。
その後、20歳前後のころアメリカ大陸一周の旅中の僕は、兄をアメリカに呼び寄せラスベガスに一緒に泊まった。
ロスから車で向かう途中、闇夜に浮かぶラスベガス。
ラスベガスの上にだけ雷雲が発生したようで、遠くに見える光の街に更に何本もの稲光が絶えることなく走り、特別なものを見た気分になった。
そして、ハイウェイ沿いには炎上し大きな火柱となった車。
カオスだった。
兄とは夜コロナを何本も飲みながら語り合った。
兄と二度ほどしっかり語り合ったことがあるが、そのうちの一夜がラスベガスだ。
話を戻し今回のラスベガスの夜はルクソールに泊まる。
その名の通りエジプトのピラミッドを模した奇抜なホテルだ。
僕は15のときにこのホテルを見て、ここに泊まったら面白そうだ!と思った。
だから今回甥っ子と姪っ子と泊まるホテルにこの奇抜なホテル「ルクソール」を選んでみた。
ピートローズがサイン会してたな。

カジノでも勝ったし。

それだけでいいホテルだと確定笑