テポドン2を打ち上げる理由

正直心のどこかでは生きて帰れないんじゃないかと思うときもあった。

アメリカに渡りしばらくするとりんご農家での仕事に就いた。
収穫期の街は不法入国者のメキシカンであふれ、白人は総人口の1割以下という異様な様相だった。

街で働くのは、白人、アメリカ産まれのメキシカン、アメリカ育ちのメキシカン、メキシカン、日本人・・・ボーダーは国境以外にもそれぞれの心の中にあった。
それらさまざまなバックグラウンドを持った人々が、己のアイデンティティーを守るため、結局ははかない一人の存在=IDを他者に犯されないために必死だった。
アメリカではIDの提示やクレジットカードの提示を執拗に求められるのはこのためかもしれない。

僕はその心のボーダーを乗り越えるためか、はたまたただはっきりさせるためにか、要するに自分の立ち居地を見つけるのに最後まで苦労した。
僕たちは結局何なのか。
メキシカンとは誰なのか。
そしてお前たち白人はいったい何者なのだ。

なぜ僕たち日本人はこんなにも?なぜ?なぜ?なぜ?
この国では本当の友達とやらはいったいどこにいる?
君たちが発する言葉は本当か?
その言葉の、その笑顔の・・・どんな意味が裏にあるのか?

さまざまな風景、幾たびも降りかかる不条理な経験、過去に出会ったこともない不思議な感覚を持った人々を通して、結局は敗戦から現在までの繋がり、日本人とやらがずっと引きずっている何かがかすかに見えた気がした。

そんな悶々とした日々を送るある日、モーゼスレイク市民対我々日本人とのソフトボール大会が執り行われた。
過去20年(だったかな)にわたり行われてきたこの大会で、日本人が勝利したことは一度もないと聞いた。

試合当日僕の頭の中でさまざまな思いが頭をよぎった。

思いはいくつもあるにしろ、はっきりしていることはただひとつ、絶対に勝ちたい、それだけだった。
僕たち日本人にとって、これはもはや単なるゲームではない気がした。
なぜか死んだおじいちゃんのことを想い、祖国日本人の思い、プライドにかけて戦う覚悟でいた。

人種、国籍だけで否が応でも劣等感を感じ、何もない毎日にも関わらず、虐げられた感じのする日々。
アメリカの奥深くを見ると、アイデンティティのためだけに日々奮闘する3色の肌色と無数に区切られたボーダーラインが生きていくただひとつの理由であるような気がした。
白は開拓に涙し、褐色は貧困に涙し、黄褐色は・・・・

試合当日僕は応援席にいた。
ナインは全員友達であり同志。
日本人としてなにかを証明するためだけにその一日を、長い人生のたった一瞬をその数十分にかけた。

壮絶な打ち合いの末、26対19で我々日本人が勝利した。

何かを証明するために戦いで得たものは、ありきたりではあるが、プライドそのものだった。
そのプライドとは具体的にはいったい何なのか、いまだにわからないではいるが、数年たったいまでも当時と変わらぬ熱い何かがこみ上げるときがある。

僕は野球観戦が好きだ。
WBCを見ていると、勝つためには技術だけではなく、もうひとつ大切なものがあるように感じる。

それは漠然と「心」であり、動機というものに裏打ちされた勝ちたいという思い、そしてそれに対する執念、また己の存在を客観的に知っていることではないか。

人生もまたしかり。

生きる動機、成功したいと願う思い、執念、客観性。

自分が自分であらずして、いったい誰が自分というのか。
日本人は日本人ということに誇りを持ち、世界と、そして過去の日本人と向かい合うべきだ。

えらそうに言っちゃったけど、侍ジャパンという言葉に違和感を感じたり、韓国との試合内容、キューバ革命とキューバナインなんかを見て思わず書いちゃいました。

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コメント

キューバは憧れの国です。
ああ、キューバ!とキュンとした。  ゴメンネ、カストロ。

個は何か?を掴まないとマズイ。
個人は徹底した淋しさを持たないと日本人は壊れると思う。  まぁ、壊れても良いのだけれど。

僕達は、幻想ばかり教えられて来たが、本当に大事なのは教えられた事では無く、発見する事だと思う。

僕達は裸で産まれて一人で死ぬ運命だ。
突き詰めるとイエスかノーの二進法的な乾燥した世界観は必要だ。

新しい世代が意外と感覚的に淋しいのを見ると、案外キチンと進む芽もあるのだと思って居るのですよ。

さて、ワシの生きる意味は何だったかな?
一番の目的は死ぬまでの暇潰しだったけど、最近はそればかりでも無いんだな・・・
今更困るんだけど、そんなこんなで、人のこの世の時間は案外短いぞ。と、最近気が付いた。

ボズさん

世界はもっとキューバを参考にすべきかもしれませんね。
でも実態はわかりませんが。
見ると聞くとは大違いでしょうから。

15のときに今まで教えてきてもらったことはすべて疑う必要があることに気がつきました。
言葉借りれば幻想だったことに気がついたということです。
若さから恨んだときもありましたけどね、日本を。

それからは本当のことを見つけるためにジワジワやってきたつもりです。
死ぬために生きることがテーマですが、まだこれが答えとは思っていません。
また、金とか成功とか勝負とかって敬遠されがちですが、敬遠するのではなく自分なりに消化したいところです。
僕は牧場がやりたいわけだけど、やるには金が要るし、理想の牧場を作り楽しい毎日を送ることが成功だし、諦めそうな自分との勝負もあるし。
理想の生き方や人生観は人それぞれでしょうが、自分を裏切った生き方や、祖国や世界を知ろうともせず狭い桶の中で感じ取った価値観ではつまらな過ぎるかもしれませんね。
死ぬために生きるとは、生を自己評価したこと。
生きるために生きるのはその逆。
こういったこと考えるのは謎解きみたいで楽しいです。
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