A good day to die - Not a good day to die

今日は死ぬのにいい日だ。
生きとし生けるものたちが、私と調和している。
すべての声が、私の中でともに歌っている。
すべての美しきものが、私の目の中で休もうとやって来た。
悪い考えは、私のもとを立ち去っていった。

今日は死ぬのにいい日だ。
私の土地は、穏やかに私の周りにある。
私の畑は、もう耕される事もない。
家は笑い声であふれている。
子供たちが帰って来た。
そう 今日は死ぬのにいい日だ。



とある街に住むAさんが、知人を通して僕に10ヶ月の犬の預かりを依頼してきた。
Aさんの犬の素性を知ろうにも、Aさんと話す機会は訪れることがなく、Aさんとはじめて話したのは実際に犬を見に行ったときだった。

Aさんの犬は年老いた大型犬で、時折ウ~、ウ~と威嚇するようにうなり声を出していた。
それを見てAさんの犬がなぜ誰も預かりたがらないかは、容易に想像できた。

Aさんがなぜ10ヶ月も犬を預けないといけないかは、必要ない情報としていたが、僕に会うなりAさんはそのことについて話し始めた。

-確かに俺はあの日事故を起こした。でも必要な手続きを取り、物事は解決した。だが、後日刑事がきたんだ-

安楽死や処分も考えたが、自分のやった過ちで何も犬まで死ぬ必要はない、とも言っていた。


Aさんに会うまで得た情報は、凶暴でとてもじゃないけど触れない犬、だったが、電話だけで断ることはできないと思っていた。
それに、僕が断ればその犬の行き場がなく、最期の日が来ることもあり得るのだと。

実際に見たが、僕は益々悩み、なかなか答えを出せないでいた。
Aさんは翌々日にはお迎えがくるのだと言っていた。

当日になり、別の預かり業者を探すことにした。
それがだめなら、檻を建てて無理してでも預かろうかと考えた。

一つ目の業者は条件が合わなかった。

二つ目の業者は、無条件で受け入れ可能だと言ってくれた。
凶暴で、癌の疑いあるにも関わらず獣医さんからもさじを投げられたAさんの犬は、何とか命を取り留めた。

-人の運命なんてわからない。朝元気で出て行った人が冷たくなって帰ってくることなんてよくある話だ。刑に服すことも人として恥ずかしいことではなく、人はみな平等だ。あなたの知り合いに伝えてください、絶対にその犬を死なせてはならない、と。-
業者さんは僕にそう言い残し電話を切った。

すぐにAさんに連絡を取ろうとしたが、連絡が取れないまま日が変わった。

翌日Aさんの知人に連絡をしたが、Aさんとは連絡が取れないままでいるとのことだった。

もう行ったのか・・・

しかし、Aさんが行く日は毎回誤報で、それはAさん自身が招いていることで、知人から、既にいなくなっているはずなのにまだいるのでは、と聞いた。

最初Aさんの知人からは、Aさんとは話さない方がいい、と言われ、ずっと知人を通してのやり取りが続いていたが、僕はもうAさんとは直接会っている。
「僕はAさんの電話番号を知らずにずっときましたが、僕が直接お話してみたい」

Aさんは電話に出た。
普段は出ないか、出ても声の主によっては切られるのだというが、僕の声にはずっと耳を傾けてくれた。

「預かってくれる業者が見つかったので、僕がお迎えに行きます」

Aさんは多くを語り始めた。

-犬まで死ぬ必要はない。いまの私は酒が離せない。あの日から心も体も弱り続けているのがわかる。いまでは自分が何をしているのかわからないときもある。-

Aさんは冷静に自分のおかれている状況と、自分のいまの心境と、客観的に見た自分を語った。

最後に

-できることはやるので、後はお任せしてもいいですか?-

事故を起こし、刑に服すことが決定してから7ヶ月もたち、本当は弱りきっていたAさん。
それなのにずっと僕の前では冷静にいたAさんだったが、この最後の言葉を言い残すときに泣いた。

Aさんの運命は7ヶ月前、たった一晩の出来事で変わり、そのことによってAさんの犬は7月25日からの二日間、どういった運命をたどるかを、僕とAさんの知人の判断によって委ねられていた。

7月26日の僕は「この犬はどうしても預かれない。」と死刑宣告をした。
カルマが犬の死を選んでいると感じていた。
生きたければ道は開けるはずだが、犬自身が死を選んだならいくら探しても預かり手は見つからない。
それが運命だ。

7月27日に犬が生きることが決まった。
犬はまだ諦めていなかったということだ。

今日この犬は遠く離れた街に行く。
僕がこの犬を連れて行くのだが、同時に僕はAさんを今日見送る。

Not a good day to die





僕が街に出るには1時間かかる。
その道中、度々目にする野良犬がいた。
かなり広い範囲を縄張りとしている犬で、いろいろな場所でその犬を見かけた。
1年前に初めて見かけたとき、捕獲もひとつの手段だと考えたが、僕はその犬の野良犬人生のストーリーを見守ることにした。

僕だって犬は助けたい。
でもすべての犬を助けることはできない。

それに、そもそもこの犬は人の助けを必要としているのか?
犬が路上生活をしているから不幸だとは限らない。

僕は困り果てた犬以外の路上生活犬を拾わないと決めている。
幸せは生きた時間の長さではなく、どう生きたかにあると思っている。

この犬がいま幸せならそれでいいし、僕が拾おうともこの子が一生で得る幸せの量は運命で定められている。

助けを求めて僕の前に現れ、それを訴えかけてきたなら僕は助ける。
人との生活を通して幸せになりたいなら、いまここで拾わなくても、自分も含めた誰かの前に必ず現れ自ずとそうなるはずだ。

大通りを堂々と通っている姿を見ては「無事でいろよ」と願っていた。


先日保険所のサイトを見るとその犬が捕獲されていた。

だからといってどうすることもできず、これがこの子の運命なのだと諦めた。

僕は1年間でたぶん10回ほど見かけただろうか。
運命を感じることがあればその間に何かあってもおかしくなかったが、縁がなかったのだろう。

今月でその子の野良犬ストーリーは幕を閉じた。

a good day to die





保健所にジャックラッセルテリアが2匹もいると、ちょっとした騒ぎになったことがあった。
2匹とも知り合いが保護をすることになった。

一匹はさまざまな理由から早い段階で我が家にやってきたが、数日後、別の知り合いのところに行き、今も未だ見ぬ家族を待っている。

もう一匹は県外の方から問い合わせがあった。
判断は一任されていたので、希望者さんと電話でお話をし、去勢をしてから渡すなどいくつか条件付譲渡で話はまとまった。

去勢するまでの間は知人宅にお世話をお願いし、僕は去勢するための送迎をした。

その数日後、その子を空港まで送り届けた。
わずかな出会いだったけど、彼にしてみれば大きな出来事だった。

少しタイミングがずれていれば死んでた子が、こうして今生きていて、伊丹行きの飛行機に乗ろうとしている。
不思議な感じがした。

生と死は隣りあわせで、誰だって明日は棺おけの中かもしれないし、明日棺おけに入るはずが、飛行機に乗って新たな人生を歩む場合だってある。

ジョーは丈次として生まれ変わるなんて思ってもいなかっただろう。

not a good day to die




近所の犬屋敷には2年前まで25頭前後の犬が狭い敷地にぎゅうぎゅうに繋がれている状態だった。
暑さや飢餓で何頭かが死んでは、新たに子犬が産まれるなどして、またもとの数を取り戻していた。

一年掛けて8頭まで減らし、オスはみな去勢を済ませ、新たな命も増えない状況まで持って行った。

そんなある日新たな犬が何頭か持ち込まれ、その中にはオスもいた。
オスは去勢をするために外に出し、「ぴょこたん」と名付けられ、里親さんが現れるのを待つことにした。

15頭前後まで増えてはいたが、子犬さえ産まれなければなんとかなる。

二日前に電話が入った。
「犬屋敷で10匹も子犬が産まれている」

犬屋敷自体には人は住んでいないが、主がたまにオスを入れては戻していたのだという。
普段まったく世話をしない主が、わざわざ足を運び、オスを入れてはまた帰る。

ここまでの道のりどれだけの苦労があったか。
10匹減らすのは容易ではない。
10匹増やすのは容易だよ。

あそこは底なし沼で、何かの縁で犬が次々やってきて、寿命を全うすることなくうじゃうじゃ死んでいく。

あそこだけは毎日が死ぬのにいい日だ。





その犬屋敷からやってきた「やよいちゃん」

うちでしばらく預かっていたが、ある晩様子がおかしいときがあった。
咳がひどく、ご飯もまったく食べず苦しそうにしていた。
確か金曜日の晩だったと思う。

翌日病院に行くと急性フィラリア症だった。
このままだと数日以内にはなくなるという。
どうすればいいのかと聞けば、手術しかないとのことだが、その手術も難しく、命の保障はないといわれた。
日曜日は獣医師会の学会で先生は不在なので「月曜までもっていれば手術をしてみましょう」となった。
いつ死ぬかわからないやよいちゃん。
月曜までもっても手術の成功率は低い。

僕は本気で覚悟した。
この子は短い間だったけど最後に幸せな生活を送らせることができた。
あったかい布団で寝たり、おいしいご飯を毎日食させたり。
それまでは週に一度しかご飯は食べていなかったのだから。

一生分の幸せが一気にきたから、死期が早まったのだと思った。

夜は寝苦しく、とても辛かった。

月曜までなんとかもったやよいちゃんを診察台の上に持ち上げ、最期じゃないと言い聞かせてはいたものの、やよいちゃんの写真を撮った。




お迎えに行くと、笑顔が待っていた。

奇跡の生還とはこのことだ。


先生やみなさんのおかげでやよいちゃんはいまでも元気にしている。
お迎えがきたのにしつこく生き延びやがった。
犬屋敷で培った生きることへの執念は、僕の想像をはるかに超えて、半端ないものだった。


not a good day to die




2004年か5年のはなし。
僕の職場に犬を2匹飼っているワーカーがいた。
彼の犬たちは働き者で、指示に忠実に動き、牛をたくみに移動させていた。
テラマステスの子供がボラチョで二匹は親子とは似つかわしくないバラバラな容姿だった。

ひさしぶりにワーカーに会うと、いつもつれているはずの二匹がいないので、どうしたのかと尋ねると彼は「殺した」と言った。

衝撃のあまりしばらく声もでなかったが、やっとの思いで「なぜだ?どうやって??」と尋ねた。

「彼らを山に連れて行き、走らせているところを射殺した」

理由は一言で言うと「役目を終えたので、これ以上苦しみを与えないために、幸せなままでいてもらいたいために殺した」とのことだった。

しばらくは理解できなかったが、数ヵ月後には理解できるようになった。
正しい選択肢かはわからないが、僕には彼の気持ちが理解できた。

僕たちは毎日自然を相手に仕事をし、育てた牛を守るためにコヨーテを殺し、最後はその牛さえも殺して食べた。

自分以外は頼りになる人なんていなかった。

きれいごとは通用しないその土地にこそ、本当の生と死があった。

僕たちは平気で保険所に入っている犬を見殺しにする。
見て見ぬ振りさえしていれば、自分は加害者ではなくむしろ被害者だと思っている。

僕たちは永遠に加害者であり、責任は最後まで持たないといけない。

本当に犬のためを思って保健所に連れて行くことと、山で自分の手で射殺することにはさほど変わりないが、大きな違いがある。

テラマステスとボラチョはいまでも嬉しそうに走り回っていると信じている。
保健所で処分された犬が走り回っているとは到底思えない。
彼らは逆に成仏できずさまよっている。

2匹はどんなことを考えていたのか・・・でも、テラマステスとボラチョが自ら選んだ人生に思えてならない。

a good day to die


あと2匹お話したい犬がいたけど、今日はここまで。


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コメント

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こんばんは。

いろはがDD4D理解不能と言ってたので見てみたら、ちゃんと書いてるよね。  この世は不条理なカオスだ。  ガンと行け若者よ。

秩序は自身にある。  実は僕本人でさえ人殺しの権利は我に有りと思って居る。 勿論殺して良いとは思わんよ。

かったるいと思うかも知れんが、人の世のルールは実に緩やかに変化しますよ。
君は何をして何を見るのか? 一番大事なのは其処でしょうね。
僕は今からギラギラの雄の香りを発散する危険なオジサンに変身する術を研究する事にします。  今度その辺教えて貰おうかな?

***さん

***さんのとった行動も犬の結果も、双方生き物ですから共に自然な行為でどちらがどうということはないと思うので悔いることはないと思います。
謝る必要もないでしょうし、心配や迷惑を掛けたくないからそっと逝ったのではないでしょうか。
感謝でいいと思いますよ。

ボズさん

自分一個人の中でさえ多様な考えがありますが、ここでは運命と自然と生と死について書いたつもりです。
死生観というのは各々あるかと思いますが、どうあがこうが自然の摂理ですので始まりがあり終わりがあることは受け入れるべきですし、むしろ歓迎すべきことです。
受け入れた上でどうすべきか。
限りがあるのであれば大切なのはその質ですが、逆らっても面白いものではなく、気分次第でもある程度成り立ちますし、それこそが醍醐味だったりもします。
時には欲望が物語りにアクセントをもたらし、意外な展開さえもドラマチックです。

きっとすべてが何かのためなのでしょうが、いつまでも続けるわけにはいけませんし、本当は終わらせるためにはじめていること。

金太郎が何を終わらせたのかを書くつもりでしたが、タイムオーバーでした。

ボズさんのコメントとはずれまくりのことを書きましたが、わかります。
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