昔書いて公表してない記事

いまブログの整理をしていたら2010年3月5日に書いた記事がなぜか公表してませんでした。
自分で読んでいても読みにくいし、よく分からない記事ですが、その時の自分ということで否定や修正はしたくないのでそのままアップしときます。



「映画の自主上映をしませんか?」
昨年11月にいろはママさんからこんな話を持ちかけられた。

おもしろい。




我々は保護活動組織としては珍しく、これまで大した紆余曲折もなければ、崩壊や解散の危機もなく比較的平穏で順調な活動を続けてきた。
むしろ日が経つにつれ結束力は強固となったように思う。

これにはみなさんの熱い思い、それに反してゆるい活動。
強い意志や明確な理念のわりに柔軟な姿勢を取ってきたこと。
とにかく最初から無理はせず、活動する側が楽しむことをある程度重視してきたこと、などが大きいと思う。

とにかくずぼらな僕をみんなが支えてくれた。
僕もできるだけ応えるようにした。つもり。

みんなみんな信頼おけるメンバーだ。
ありがとう。

そんな厚い信頼を置いているメンバーの一人、いろはママさんからの提案だからおもしろくないはずがないし、僕は是非協力したいと思った。

あの提案からもう3ヶ月以上経ってしまったが、いまがいいときかもしれない。

僕はずっと保護活動をするうえで、大切にしてきた思いがある。
より多くの人々が犬との生活を楽しんでくれれば・・・

僕は殺処分を減らすことへの活動にはっきり言って興味はない。
いやいや・・・殺処分を減らすために、保護することが幸せな社会を作る一番の近道とは思っていない、と言った方がいいかな。
いまも確かに保護活動に力を入れてはいますが、殺処分を減らすことが最大の目的ではなく、譲渡を通して人々により楽しい犬との生活を提案することに重きを置いてます。
だから声高に「この可哀想な命を救ってあげてください!!」なんてはいいません。

語弊があるかもしれないが、保健所にいる犬が殺処分されることが可哀想だとは思わない。

もちろん語弊がありますよね。
わかります。

でもね・・・

可哀想に決まっているが、その子たちをたとえ全頭救おうとも、問題解決には全く至らない。
僕だって犬が殺されたら胸が痛いし、できるだけ殺されてほしくはない。
でも可哀想だけで解決できる問題ではないんです。
全頭すくったら世の中は幸せに満ち溢れるのか?
全頭救えば犬にとって幸せな社会は訪れるのか?
その活動はいつ終わるのか?

幸せな犬社会がくることもなければ、終わりもない、エンドレスな活動であり、いわばその場しのぎの刹那的な救済にすぎないように思えてならない。

それが不必要とは思わないが、多くの活動は、やがて初期衝動は色あせ、多くの自己満足へと姿をかえた幸せだけが増えていくのではないか・・・

数字を0にしても極端な話なにも変わっていないんですよ。
殺処分はなぜ起こるのか??
それはその子との生活にある一定レベル以上の楽しみが見出せなかったことに原因があるのではないでしょうか?
殺処分を減らさないといけないのではなく、愛犬家を増やさないといけないと思うんです。

泣いている犬を増やすより、笑っている犬の数を増やしたいんです。
悲しそうな犬の顔は見たくないんです。

自殺者を減らすために、ロープの販売を禁止したところで根本的な解決には至りません。
一時期学校でナイフなどの持ち物検査や販売の禁止の話がありましたが、殺人事件を減らすためにナイフの販売を禁止しても何の解決にも至りませんよね。
大切なのは命の大切さを説くことであり、その人自身がそういった気持を抱かないよう、より楽しい人生を送れる環境を提供することです。

話を戻します。
問題は犬への処分・対処ではなく、人と犬との関係の構図。
どうにか一人でも多くの方に犬との幸せな生活を感じてもらいたい。
悲しいのは殺処分が行われる現状ではなく、犬と楽しい生活を送れなかった人であり、そのすべを知らずに生活を送った人であり、殺処分の現状を知らず、手段がそれしか思いつかなかった人だ。
可哀想な犬は、可哀想な社会によって生まれた。
変わらないといけないのは、社会。
人が変われば犬が変わる。

この映画は人々に現状を知ってもらういいチャンスになると思う。
現状を知った上で、犬の幸せを考える。


犬と猫と人間と


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