さよなら ごめんね ありがとう リム君

今日未明、リム君が静かに息を引き取りました。
昨夜、それまで元気だったのに、急に息が荒くなり、胆汁のようなものを2度吐き、みるみる生気が無くなっていきました。
立つのがやっとの様子でしたが、横になるのも苦しいらしく、倒れるように寝ては荒く息をし、時には「オー、オー」と鳴き、すぐに起き上がってまたウロウロ・・・朦朧としながらもせわしない感じでした。
1時まではそばにいてあげたのですが、朝病院に連れて行くために、そこで一旦お別れをすることにしました。
しかし、結果的にそれが最後のお別れとなってしまいました。

朝6時に見に行ったときには、わずかなぬくもりを残し、すでに亡くなっていました。
暴れた様子はなく、本当に静かに眠っているようで、確認するのに数秒かかりました。
僕の頭の中には、朝起きた嫁が「リム君まだ生きてるよ!!」と言っていたのでとてもとても嬉しかったのですが、それは夢で見た光景だったようです。
その夢の中ではすっかり回復して、すごく笑顔で楽しそうにしていました。

この家に引っ越してから数か月間、リム君にとってはとてもかわいそうな期間でした。
以前のように屋根があるところではなく、雨ざらしで、物干し台に犬小屋と一緒に短く繋がれているだけ。
ここは山なので、毎日雨が降るのですが、犬小屋から外に出て雨の中を呆然とたたずんでいることもしょっちゅうで、震えていることもよくありました。
それでも以前のように室内に入れなくなったのは、家を購入したことが心理的に影響していて、汚れるからと、僕が一番犬を扱うときに嫌いな言い訳を、無意識のうちにするようになっていました。
散歩もほとんど行ってやらず、ストレスからか、もしくはただ年老いたからか、リム君は毎日同じところをグルグル回るだけで、筋肉は衰え、やせ細り、吠える力も残っていなかったので、声を聞くこともなく、存在感は薄まるばかりで、僕たちの中では、実質ただ飼っていて、残りの余勢を送らせている犬となっていました。

7月10日の東京出張から戻ってくるまでは・・・

東京に行っている間に自分と深く向き合うことができたのですが、その時に、ここ数か月のリム君の扱いに対して突如として猛烈な後悔の念に襲われ、深く反省しました。
ただちに妻に電話を入れ、リム君の熱中症対策をはじめ、念を押してリム君のケアをお願いしました。

帰宅当日の晩、明日からはリム君のために早起きをするときめ、翌日からは今までより数時間早く目覚め、リム君の世話から一日を始めるようにしました。

ずっとお手入れもさぼりがちで、全身毛玉だらけだったのですが、帰宅翌日の7月11日の午後から4~5時間かけてシャンプーとブラッシングをしてやり、毛玉を全部取り、飾り毛や足の裏も全部きれいにカットしてやりました。(あまりの酷さに翌日は全身筋肉痛で体がバキバキになるほどだったのですが、リム君はもっと辛かっただろうと思うと、申し訳ない気持ちになりますし、ピカピカ計画の間中、頑張ったことへは感謝しています))
そして、室内で暮らすための環境を整えてやり、朝昼晩と可能な限り何度も何度も外に連れて行ってやり、その日以来外に繋ぐことはもうありませんでした。

外で暮らしていたときは、毎日雨に濡れ、しきりに震え、目には力がなく、やせ細って見るも無残だったのですが、シャンプーカットをしてからは、本当に見違えるように動きがよくなり、それまでは走ることすらできなかったのですが、3日くらい前には少しだけ駆け足するところを見せてくれたりもしました。
走ったのは朝の出来事だったので、夕方帰ってきた嫁を外に連れ出し、駆け足するリム君の姿をリム君と二人で自慢げに披露しました。
僕とリム君の目標は、もう一度わんわんウォーキングに参加すること、もう一度アーケード街を散歩すること、そして叶うならば、もう一度一緒に石鎚山を登ることでした。
リム君にも嫁にも言葉には出しませんでしたが、明確に頭の中にはその目標があり、それがモチベーションで、朝も深夜も外に連れ出して、リハビリをしてやっていました。
それまで一日一食だった食事も、消化のことを考えて、朝晩2回にも変更しました。
外にいるときは寝床に毛布すら敷いてあげていなかったのですが、室内に入れてからは必ず3枚敷いてあげるようにしました。
ただ、夢はかなうことなく、「これからだ!」というときに、僅か6日でリム君は逝ってしまいました。

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リム君との出会いは2007年でした。
「何日も前から溝に落ちたままの犬がいる」と通報があり、助けに行ったのが最初でした。
聞いた限りのイメージでは、溝にはまって動けなくなっている様子だったので、一刻も早く助けてあげようと、夜中に出かけて行ったわけですが、着いてみると、溝というよりは4mぐらい川幅のある、川?で、そこにいた犬は、そこに落ちたというより、住み着いている雰囲気があり、ちくわなどが何本か与えられていました。
それでもやはりそのままでは一生出られない様子だったので、溝に降りてみたのですが、特定のエリアからは離れようとせず、近付こうとすると、ものすごい勢いで襲い掛かってくるので、捕まえるどころか、触ることすらできませんでした。
その後数日間通い、捕獲を試みましたが、同じことの繰り返し。
ところが、ある日行ってみると、姿がありません。
溝の構造上とても逃げたとは考えにくかったのですが、いないのは事実ですから、それで救出活動は終わりとすることにしました。

しかし、後日別の犬を保護しに行くために保健所にいくと、そこにその犬がいたのです。
保健所の職員さんが捕獲したとのことでした。

当時はまだ保護活動もほとんど行われておらず、そのままでは数日後には確実に殺処分となる状況でした。
その犬を引き取りに行ったつもりではなかったわけですが、どうしてもその子を置いて帰ることはできず、噛み犬ではあるのですが、職員さんの特例措置として引き出させていただくこととなりました。

許可が下りたのはいいのですが、ここからが問題です。
かなりの狂犬ですから!
溝とは違って、捕獲するには好条件な施設内でも、相変わらず捕まえることは難しく、カウボーイの投げ縄のような形で首に縄をかけ、捕まえた瞬間から襲ってこようとするその犬を、一気に圧倒して、なんとか咬まれることなく連れて帰ることができました。
その後も悪戦苦闘の日々が続き、リードをかけるのに一時間ぐらいかかったこともありました。
リム君となずけたその子は、我が家の守り神として、朝だろうが夜だろうが、怪しいものにはひっきりなしに吠えていました。
当時は海岸沿いの一軒家に住んでいたのですが、一番のご近所さんですら数百メートルは先です。
だから、人はいないし、夜はとにかく不気味だったのですが、裏手にある神社や遠くを睨み付けよく吠えていたので、本当に心強かったです。
リム君のおかげでセコムどころか、お祓いや魔よけのお札すら必要性は全く感じませんでした。

時が経つにつれ僕たちに懐いていったリム君は、徐々に僕たちと行動することも多くなってきました。
山に登ったり、シーカヤックに乗ったり、一緒に四国に行ったり。。



ただ、確かにたくさんの思い出はできましたが、一生懸命お世話をしてあげたのは最後の6日間だけでした。
僕は本当にリム君に満足が行くことをしてあげられたのでしょうか。
リム君はどう思って最期を迎えたのでしょうか。

もちろんうちに来てどうだったのかはわかるすべはありません。
でも少なくとも、2007年に一度死んでいると思えば、よかったのかな。
リム君のことを気にして、遠くからたくさんの友達が会いに来てくれて、みんながリム君を散歩に連れて行ってくれたりもしたしね。
小さいときはどんな暮らしをしていたのか、育つ過程でどんな悲劇があったのか、リム君のことは最後までほとんどわかりませんでした。

ただ、僕とずっといてくれたことは事実ですし、いくら元の飼い主さんを探しても、新しい飼い主さん候補を募集しても、見つかることなく、ここに留まってくれたわけですから、あの子は立派な、れっきとした僕の家族です。

いまとなってはなぜ僕が東京でリム君のことを急に愛おしくなったかよくわかります。
リム君としては、最期を迎える準備が必要だったのだと思います。
体はピカピカになって、シャンプーのいい匂いがしています。
耳からはマラセチアの鼻を衝く臭いがしていましたが、数日前に薬を入れたのでいまはしていません。
お散歩でもここ数日僕を喜ばせ、飼い主にいい印象付けもできました。
リム君の作戦通り、僕の中では完璧なお利口犬としての思い出が残りました。
リム君なりの最後の親孝行だったのかな。


溝に落ちて死にかけたり、保健所に収容されて死にかけたり、庭に繋いでいたら、足を滑らして川に宙吊りになっていて死にかけたり、留守中にチェーンが外れてさまよった挙句、渓流にはまって死にかけていたりと、とにかく死に急ぎたがる子でした。

ようやく夢がかなったというところでしょうか。。。


犬と暮らしていて涙が出るときは、十分なことをしてあげられず、後悔が残るとき、すなわち、できる限りのことをすべてしてあげなかったとき。もしも、ありがとうしか出てこないときは、ある意味清々しい気持ちになり、涙はでません。それが僕の持論なのですが、今回は実は「ありがとう。そしてごめんね」となってしまいます。

だから涙が止まりまりません。

また会おうね!!

ホントにごめんね。
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